海難事故発生

2/25(日)、一宮海岸サンライズポイントで海難事故が発生しました。

 

ビジターの初心者サーファーが堤防脇の流れに飲み込まれ、テトラポッドに挟まってしまい、意識不明状態で救助されました。救急搬送後の状況はわかりませんでしたが、後日の地元紙:千葉日報で病院搬送後に亡くなられたと報じられました。

 

ワタクシ達にしては、信じられないコンディションでの海難事故です。というのも、事故の時は北東風ビュービューに干潮が重なりでとても波乗りを楽しめるコンディションでは無かったからです。

 

ヒマがあれば波乗りするワタクシが「今日はパス」とブログでもご報告した通り、風・潮・うねりの向きなどの条件次第では波があっても地元民ベテランサーファーも入らないコンディションの時があるのです。危険だからです。

 

↓↓↓↓↓一見、問題無さそうに見えますが、これ危険な時の様子。

この時は写真の向かって右方向から吹く南風。つまりテトラに向かって流されます。そのテトラ周辺は浅くなっていて白波で真っ白。あぶくですから、パドルしても進みません。これを無理して出て行こうとすると、テトラに吸い込まれます。

 

この堤防は海岸浸食防止の為に「養浜事業」として国と県が約30年前から進めたもの。この堤防のお蔭で、海岸の浸食は止まり、適度にサンドバーが形成されたので、一宮町は日本有数のサーフポイントになり、東京オリンピックのサーフィン競技会場にも選ばれたのです。

 

一宮町の約7㎞の海岸線には10本の堤防が突き出しています。

 

Google Mapの空撮画像で見てみましょう。

 

堤防の間に波の切れ間が出来て、サーフポイントになっている様子がわかります。

 

この堤防は、そもそも昭和後期に九十九里沿岸が深刻な海岸浸食に悩まされた対策として行われました。

 

九十九里浜は北は飯岡から南は一宮町まで約70㎞の弓なりの砂浜で、途中に岩場は一切ありません。利根川から流れ出る上流からの堆積土が親潮で北から運ばれ、夷隅地区以南の古くからの岩場(房総半島の南半分はチバニアンという古くから存在した岩場の地層)が波で浸食された浸食土が黒潮で北に運ばれて形成されている長い砂浜です。

ところが河川の氾濫対策で護岸工事が進み、利根川や他の九十九里浜に注いでいる河川が堆積土をあまり出さなくなりました。

 

そして、飯岡から銚子にかけての屏風ヶ浦や一宮町以南のいすみ市の太東埼などの岩場も浸食防止の護岸工事で浸食土を出さなくなりました。ガケがテトラポットに覆われた屏風ヶ浦↓↓↓↓↓

こうした河川や海岸の浸食対策で、九十九里浜への新たな砂の供給源が断たれ、昭和の終わりごろには二次災害的に九十九里浜の浸食が始まったのです。特に九十九里最南端の一宮町の海岸浸食が深刻だったので、上記の堤防10本が20年以上に渡って建設されました。

 

岩場でサーフィンするよりも一宮町の堤防周辺でサーフィンする方が危険は少ないのですが、危険が無い訳ではありません。

 

事故が二度と起きないように、その危険度合いを解説しましょう。

事故のあった堤防の空撮写真です。

 

下図では例として真横からの南風が吹いている想定です。

そうすると潮の流れも南から北に向かいますので、堤防南側にぶつかる危険度が高まります。でも、堤防のL字内側の緑の丸で囲ったエリアは穏やかなので、ついついそこから堤防脇にエントリーしてしまうのです。これ危険。

堤防南のまん丸の黄色破線で囲った部分が最も危ないのです。ここは、よほどのパドル力があってもなかなか抜けられないほどの渦が巻き、潮の流れがパドルしたい方向の逆になっています。そして、ここで巻き込まれると、テトラが横一列に並ぶ泡で真っ白のどうにもこうにもパドル出来ないエリアに流され、テトラポッドに打ち付けられてしまいます。

 

今回の事故は、まさにこの状況で潮の流れと渦に巻き込まれ、テトラポッドに挟まってしまったようです。

 

週末の渋滞の中、料金を払ってガソリン代を使って高速道路で東京方面から一宮に来たので、少々コンディションが悪くても海に入りたい・・・という気持ちはわかります。

 

でも、このようなコンディションの日は、地元ローカルサーファーも海に入っていません。無人島のシークレットポイントでは無く、サーフィンのメッカの一宮海岸なんですから、「あれっ?何で誰もいないの?」と考えねばなりません。危険と感じたら海に入らない判断と勇気が必要です。

 

命あってのモノです。

フィリップ カレッジリング

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