【シリーズブログ「MLBチャンピオンリング」その2】
(前回のブログからの続き)こうして日本人メジャーリーガー達がチャンピオンリングを獲得すると、思い返します。
Philip College Ringがカレッジリング、チャンピオンリング事業を始めた2000年頃、チャンピオンリングというものは日本で全くと言っていいほど認知がありませんでした。
実は日本人初のチャンピオンリングを獲得したと言われているのは、伊良部秀輝投手です。千葉ロッテマリーンズからMLBニューヨークヤンキースに移籍したのが1997年。当時のヤンキースは、名将トーリ監督+キャッシュマンGMの名コンビが黄金期を形成していました。デレク・ジーター、ロジャー・クレメンスなどの名選手に伊良部も活躍し、翌年1998年から199年、2000年とヤンキースはワールドシリーズ3連覇を果たしました。
しかし、伊良部は移籍初年度から数々の問題プレーや言動で、オーナー:スタインブレナー氏からメチャ嫌われていました。そして、ロッテ時代からですが好不調の波が激しすぎ、シーズン前半戦では月間MVPを獲得する活躍を見せながら、後半戦は登板機会無し・・・のような状況が続き、1999年の2連覇直後にはほぼ放出の形でエクスポスにトレードに出されてしまいました。
MLBなどアメリカンスポーツでは、在籍したからと言って必ずチャンピオンリングがもらえるものではありません。日本的「みんな平等」感覚ではありません。チームへの貢献度次第のところもあり、特にスタインブレナーオーナーに超嫌われていた伊良部がチャンピオンリングを貰ったかどうかは定かでは無く、記録もありません。彼のそのキャラクターから、帰国してチャンピオンリングをお披露目・・のような事もなく、伊良部選手がヤンキース在籍の2シーズンのチャンピオンリングを貰ったかどうかは定かではないままです。
1998年のNYヤンキースのチャンピオンリング
このリングはPhilip College Ring提携工場が製作しました。
1999年のヤンキースのチャンピオンリング。
このリングは他のメーカーが製作。
その後、エクスポス、レンジャーズと渡り歩き、2002年には阪神タイガースにカムバックしましたが、またしても好不調の波が激しく、最終的に戦力外通告。。。その後、アメリカに移住、事業を起こすも失敗、帰国時に飲食店でトラブって暴行容疑・・そして最後はLAの自宅で自殺・・と希代の天才投手は悲劇の歴史を刻んてしまいました。
「日本人初のMLBチャンピオンリング保有者(と言われる)」伊良部選手のお話しが長くなりました。つまり、伊良部がチャンピオンリングを貰ったかどうか、定かではない事もあり、彼自身がお披露目することも無かったという背景もあり、2000年台前半は日本では「チャンピオンリング」というモノは全くの無名でした。
でも、2005年シカゴ・ホワイトソックスに入団した井口選手がいきなりワールドシリーズ制覇!チャンピオンリングを獲得しました。井口選手はオフの帰国時に、早速メディアの前でチャンピオンリングをお披露目してくれました。
これは千葉ロッテマリーンズの2016年版イヤーブックの井口選手紹介ページ。自身でも「宝物はチャンピオンリング」と書いています。
井口選手保有の2005年ホワイトソックスのチャンピオンリング。
Philip College Ring提携工場製作。
そして2006年にはセントルイス・カージナルスで田口壮選手がチャンピオンリングをゲット!
2006年カージナルス チャンピオンリング
Philip College Ring提携工場製作
続く