311考 その2

大震災10年を迎えて各種報道等で災害対策について色々考えさせられます。

昨日のブログに続き目についた記事です。3/11読売の社説。

惨禍の教訓を次代につなごう

はい、賛成です。人間は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」習性がありますからね。

昔なら村の年寄りが語り継いだように責任あるメディアや私たち自身が惨禍を繰り返さぬように、次世代に伝えていかねばなりません。

災害に強い街づくりを

はい、これも異論有りませんが、各自治体が本当にそのポリシーで市街地整備をしているかというと、そうではないようです。

我が町千葉県長生郡一宮町では、ハザードマップで「真っ赤っか」の海岸地域が震災後しばらくして、どんどん宅地開発され、多くの住宅が建ちました。

マップの赤い部分は、現実に2010年3月11日午後に床下~床上浸水被害が出たエリアなんです。

そして黄色のエリアの一番奥(町側)には、天正18年(1590年)、延宝5年(1677年)、元禄16年(1703年)に「ここまで津波が来ました」って書いてある石碑が建っているのです。つまり、高い確率で予想されている房総沖大地震が起こると、間違いなく津波浸水被害があるであろう地域が赤・オレンジ・黄色のエリアなのです。

でも震災の記憶が薄れ、そして一宮町がサーフィンオリンピック会場となった頃から海岸沿いの宅地に人気が集まり、多くの新築住宅が建ちました。町の人口は1万人前後だったものが1万2千人に増加したのです。

もちろんその地域に土地を買い、家を建てる人々には購入時の重要事項説明で津波リスクの高い(ほぼ間違いない)エリアですよーという事は伝えているでしょうから、法的にクリアだとしても、大震災の惨禍を繰り返さないようにしよう!次世代に伝承しよう!というポリシーに反して、行政が宅地開発を容認し、建築確認申請を許可しているのです。

行政が災害リスクの高いエリアに人が新たに住む事を容認していては、「災害に強い街づくり」になりません。大震災や津波の教訓を今後の日本社会に根付かせるとすれば、このようなハザードマップ真っ赤っかエリアでの宅地開発を容認しないような用途指定にし、もし建築確認申請が出されたら許可しない事が「災害に強い街づくり」のはずです。

また、行政ではなく個人としての災害への備えとは、災害リスクのある場所に住まない事です。

フィリップ カレッジリング