ついに出ました!
日本バスケ界初の1億円プレイヤー!
それも外国人選手ではありません。
我らが富樫勇樹!!!!
千葉ジェッツ島田社長と契約締結後に記者会見する富樫。
6/3、千葉ジェッツと富樫勇樹選手は契約改定を行い、基本報酬年1億円を超える契約を結びました。
これは単に有名選手が1億円プレイヤーになったというだけではありません。バスケがプロスポーツとしてメジャーになる第一歩とも言えます。
つい数年前のB.LEAGUE発足前、実業団チーム主体のNBLの選手達の報酬は、基本的に所属会社の給与体系に準じていました。トヨタ自動車や三菱電機などの大企業ですので、決して安い給与では無いとはいえ、年功序列賃金が色濃く残っている日本企業で20歳代の若手社員と同等の給与という事ですので、平均年俸360万円前後と言われていました。
プロリーグのbjリーグもチーム経営を優先し、「サラリーキャップ」というリーグ所属チームの年俸総額を制限していました。例えば、1チーム当たり上限1億円なら、所属選手・コーチなどプロ契約者が20人いれば平均年俸は500万円という事です。もちろんポイントゲッターや優秀なスタッツを記録した選手には、四捨五入で1000万円近い額も払われていたでしょうけど、プロ野球、米4大スポーツなどと比較すると、見劣りするレベルでした。
それがB.LEAGUE発足 3年で1億円プレイヤーを輩出するまでになったという事実は非常に大きく、意義があります。
まず、富樫以外のB.LEAGUE所属選手達にも夢を与え、切磋琢磨に弾みがつきます。そうすると、B.LEAGUEのプレイの質が更に向上し、観るものを魅了します。そうすると観客が増え、チーム・リーグの収入が増えます。そうすると富樫以外の1億円プレイヤーが出てきて、更に更にB.LEAGUEの魅力が増します。
そして、子供達・高校生・大学生のバスケプレイヤーに夢を与えます。優秀な素質を持った若い選手がB.LEAGUEを目指し、入団してきます。B.LEAGUEのプレイの質が更に高まります。
こうして「正のスパイラル」が生まれます。
この英断を下したジェッツの島田社長に敬意を表したいと思います。
改めて富樫勇樹をご紹介しましょう。
一言でいうと「雑草」です。
まず身長163cmという時点でバスケ選手として致命的ハンデを背負っています。
小中校とミニバスケをして、高校からアメリカに留学。これは、低身長だとバスケ有名校に進学しても機会そのものが与えられないという判断からでしょう。米ではハイスクールバスケで強豪校のモントローズ・クリスチャンスクールに。主にシックスマン(交代要員)。NCAAのバスケ強豪大学を目指すも挫折し、2012年帰国。
既にシーズンが始まっていたbjリーグの秋田ノーザンハピネツに入団。これも、富樫の父親と当時のハピネツのHCだった中村和雄のつながりで、一種の「縁故入団」。当時のハピネツはチーム創設2年目で、bjリーグの中でも下位グループ常連。東地区最下位、5位、4位ってとこ。
ところが富樫入団の翌シーズンには、ハピネツはプレイオフを勝ち上がり、いきなり初の決勝進出。惜しくも準優勝でしたが、そのファイナルでの富樫の活躍はワタクシも非常に印象に残っています。
翌シーズン2014年、1年半でハピネツを退団し、再度のアメリカ挑戦。ダラス・マーベリクスと契約し、日本人2人目のNBAプレイヤーとなるも、足首のケガ等で出場機会に恵まれず、2015年秋に帰国。
この時も既にシーズンが始まっていたが、あるきっかけで名刺を貰っていた千葉ジェッツの島田社長にコンタクトし、千葉ジェッツに中途入団。ジェッツは、島田社長の経営努力で集客には成功していたが、タイトルは無冠だった。しかし、B.LEAGUE発足1年目の天皇杯でいきなりジェッツを優勝に導き、以後天皇杯3連覇中。
昨年はB.LEAGUE年間MVPも獲得。
あと足りないものはB.LEAGUE優勝タイトルとそのチャンピオンリングのみ!!
プレイスタイルは、その低身長を逆手にとった低い姿勢の高速ドリブルで相手ディフェンスを切り裂きチャンスメイクをします。
身長2m台の外国人選手とマッチアップすると、まるで「ドリブルで股抜き」のように切り込んでいきます。
そして3Pシュート。
この驚異の跳躍力で、2m台のビッグマンディフェンスの手が届かない高い放物線を描くシュートを放ちます。
今後の活躍が楽しみです。