地震後の状況-3/11

改めて 3月11日の巨大地震にて、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りし、被災された方々にお見舞い申し上げます。

TVにて東北地方の惨状を拝見するにつれ、胸が強く痛みます。

弊社の位置する千葉県外房の一宮町とワタクシの状況を記します。

まず、我が家兼工房のある場所は、九十九里海岸から2Km内陸の房総丘陵地帯が始まる標高20m程の高台に位置しています。

今までに経験した事の無い揺れでしたので、まずは作業台に乗っていた半製品を手元にあったタオルで包み込みました。そして、研磨機や洗浄機の電源を切って、辺りを見回して、危なそうなものが無いか??としていたところ、不安定に積んでいた書棚の資料やCD類が倒れましたが、それ以上の事は起きませんでした。

ちょうど、隣の空き地が家を新築している最中で、工事のおっちゃん達がザワザワ・・・

続いて直観的に「津波!?」と思いました。
我が町の海岸線は、江戸時代に海岸から1Km程の所まで津波被害があった記念碑が建てられている遠浅の海岸です。今は宅地開発が進み、その1Km圏内に多くの住宅やサーフショップ、飲食店があり、たくさんの友人達が住んでいます。

息子が勤めている工場は、更に海岸から内陸に入ったかなりの山の中なので、大丈夫でしょうが、念の為電話・・・・通じません。

海岸沿いに住んでおり、ご主人が東京都内勤めで小さな子供3人がいる家族がいます・・・電話・・・・通じません。。

同じく、海岸沿いにお年寄りと同居している一家・・・・電話・・・通じません。。。

その時、ふと思いました。
そうだ、多くの人が同じ行動して電話回線がパンクしているんだ・・・・でも、今家の下敷きになって、携帯で救助
を求める人が優先で、我々は直接被災していないけど、ただ安否を確認したいからって電話バンバンかけてると、本当に救助を求める人の電話を阻害しているの
では・・・・

しばらく控えようと思いました。

町の防災無線は、サイレンを鳴り響かだしました。

自宅から徒歩1分程の場所に、海岸線が一望できる高台があり、町立の武道場がある所がありますので、そこに行ってみました・・・既にかなりの町民が集まっています。

高台すぐ下には、小学校があり、多くの町民が足早に集まって来ていています。校内放送では、「校舎2階より上に昇って下さい・・・・・」と幾度もアナウンスされています。

海岸が見えますが、変化までは視認出来ません。

その内、小学校から人が溢れだし、自宅のある高台に人の波がやって来ました。ウチの辺りは、地元の人でも解りにくい入り組んだ道になっています。大きな施設の武道場やお寺に行く道がわからず、小さな子供を連れて右往左往している人達に道を誘導してあげます。

幾度も大きな余震を感じます。

一旦自宅に戻って、ガスの元栓を閉じ、お風呂に水を溜め、サイフやカード入れ・鍵や携帯の充電器をウェストポーチにまとめました。

TVを見ると、東北に押し寄せた津波の映像・・・・こりゃ、本格的にマズい・・・・・

もう一度高台に行きます。見下ろす町中が騒然としています。

女房と息子が相次いで帰宅。一安心。

心配していた友人家族も、ある一家は公民館に、別の家族は小学校や公民館に入りきらず山の上のゴルフ場に避難しているのがわかりました。これも一安心。

でもTVでは、東北地方の大惨事の映像とともに、ひっきりなしの地震速報、千葉外房地域は最大級の津波警戒レベルの「大津波警報」。

海岸沿いに住む、町の住民の約半分 6000人程は我が家のある山側に避難しての一晩で、普段は静かな自宅周辺ですが、なんだか騒然とした一晩でした。

フィリップ カレッジリング

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